タテマチノイエと介護保険
2018/6/13
まちやど管理人 せい子です。
プロフィールは こちら。
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先週、父がはるばる青森からやって来て
1週間まちやどに滞在しておりました。
目的は、この4月に購入したタテマチノイエの視察?
お前が決めた家なら、口は出さずに金だけ出す!
と、なかなか男前な発言とともに出資してくれた父。
娘が郡上でどんな家を買い、
これからどんな未来を描こうとしているのか
彼自身の目で確かめに来たかったのと
かわいい娘の顔を見に♡
父は2度の脳梗塞を経て、体が思うように動かない。(要介護2)
移動は杖をつきながらゆっくりゆっくり
100メートル程度しか歩けない上に、
どこも似たような街並みの郡上八幡では道に迷ってしまうので
一人での移動はちょっと無理。
滞在中私はほとんどつきっきりで彼のペースに合わせ
まちやどはお父様貸切の介護施設と化しておりました。
1週間限定の親子水入らず&介護生活
高校から家を出た私にとっては、
15歳の時以来、実に20年以上ぶりに
父とじっくり向き合う時間。
なかなか有意義で新しい発見の日々でした。
中でも印象的だったのは、
八幡の町で出かける先々で、
「あ、お父さん?青森から来たの?」
って地域の人が話しかけてくださったこと。
青森弁で、さらに麻痺があって
発語もクリアじゃないのに一方的に喋る父と
意味がわからないのに、
動じずに笑顔で郡上弁で返す地域の人たち。
意味はわからないんだけど、
なんとなくコミュニケーションが取れてて
意味がわからないなりに、
お互い楽しそうに話してたってこと。
体も言葉も不自由な父を温かく迎えてくれる
地域の方々の思いやりがひしひしと伝わって来て
一緒に行動する私自身も
温かい気持ちで父に接することができた1週間でした。
私は東京にいた頃
福祉用具やバリアフリー工事の設計の仕事をしていたのだけど
仕事柄、自分の老後を東京でイメージした時に
「ここでで年老いていくのは無理!!」
って思って東京を離れました。
そのきっかけの一つが
当時、すでに足腰が弱く、長距離歩行が困難になった両親が
私に会いに青森から上京して来た時でした。
人混みをかき分けて、徒歩と電車の移動で観光。
ちょっと贅沢なレストランや、おしゃれなホテルに宿泊。
青森の田舎では味わえない都会を満喫してもらおうと
良かれと思って組み立てた東京滞在のスケジュールだったけど
田舎で生まれ育った両親にとっては
都会のシステムやスピードについていけなくて
ホテルのチェックインや、駅の自動改札でモタついて、
後ろから来た人に舌打ちされたり、あからさまに嫌な顔されたりしました。
宿泊先や観光施設、食事場所、行く先々でみんなが
田舎丸出しの両親をバカにしているように見えてしまって
そして、そんな両親と一緒に行動するのが恥ずかしくて。。。
せっかく会いに来てくれた両親に
冷たい態度をとってしまったことを思い出しました。
そんな私自身も、当時は20代を終えて30代を迎えたばかり
今までできたことがどんどんしんどくなり始めた時期。
この先、ここ東京で年齢を重ねていけるんだろうか。。。?
と不安を感じ始めたのもこの頃でした。
私は4人兄弟の末っ子で、
一番上の姉とはひとまわりも年齢が違うということもあってか
幼少期から姉の恋バナから結婚生活のぶっちゃけ話を聞いて育って
完全な耳年増の出来上がり。
これから明るい未来に羽ばたく10代の終わり頃には
恋愛にも結婚にも理想や憧れはほとんどなく
すでに父は60代突入で、老後の心配をし始める。。。っていう。
そんな環境で育ったので、
自分の将来を考えつつ、両親の老後や介護っていうのも
いつも頭の片隅でチラついている
そんな青春時代を過ごしたんだなぁ。
だから、年齢を重ねていく上で、
両親が年老いた時に、いかに負担が少なく楽にその時を迎えられるか
というのが、私の生きるテーマになったのかもしれないな、と。
今振り返ってみるとそんな気がします。
そして、
海外や、沖縄や、もちろん青森も含めて
いろんな場所で暮らしてみて
両親との距離感、自分が実現したいこと、地域性。。。
いろんな面で、郡上がいまの私にフィットしてるんだって思います。
今から2年ぐらい前に
いろんな事情が重なって、母と郡上で同居するかもしれない
という状況になったことがありました。
当時私は、まちやどと別の場所で一軒家を借りていて
そこで暮らしながらまちやどを管理していましたが
自宅のトイレは汲み取り、お風呂は露天風呂??
まあ、良くいえばレトロ?悪くいえば。。。。
なお家だったわけで、
とても、高齢の母と暮らせるお家ではありませんでした。
ひとまずは、母が八幡でしばらく暮らしてみて
通院や買い物などの日常生活ができるようになるかどうか
友達ができるかどうかも含めて、
お試しで暮らしてみる場所が必要だと思って
八幡の空き家対策の方に家の斡旋を相談しました。
郡上市は、最近でこそ移住促進とか空き家対策などの
補助や制度も整っては来ましたが
私が来たばかりの頃は空き家情報もほとんどなく、
住みたい人は自力で仕事も家も探してください!
補助とかないですからっ!!
って感じでした。
だから、ここ数年の郡上市の移住促進の制度や補助は
とーーーーっても手厚いなぁ
(私にはなにもしてくれなかったくせに。。。フンッ!!)
って、内心思うことがあるのですよ。
だから、空き家対策の相談に伺ったときは、
母もある意味移住者になり得るわけで、
その上、すでに移住して暮らしている人の家族なのだから
それなりの対応をしてくれるのではないか
と多少期待していました。
が。。。
対応した方の返答は
空き家対策は移住推進と地域を元気にすることが目的で、
これからの未来を担う若い世代や
新規事業を開業する人たちを誘致したい。
同じ物件に複数名の希望が重なった場合は
そういう人を優先的に斡旋するので
(高齢者の母の)希望に添えない場合もあることをご了承いただきたい
と言われました。
まあ、ごもっともといえばごもっともな対応なのですが、
当時の私にとっては
これから新しく移住してくる若い人は手厚く迎え入れるけど
すでに移住して来た人は今まで自力でなんとかなったんだから
引き続き頑張ってください。
その移住者の家族(高齢者)まで面倒見きれんがな!!
そんな風に解釈してしまいました。
もっと言っちゃうと、
若くてやる気のある移住者は、
(それなりのリスクを冒してでも)頑張って郡上を元気にしてちょーだい。
でも、家族のこととか老後のことまでは全く責任とれませんけどねぇ。
っていうこと??って。
まあ、当時の私は、いろんなことにいっぱいいっぱいで
ちょっと被害妄想だったのは否めないですけどね。
例えば誰かが、これまで暮らした土地を離れ
新しい土地で新しい生活を始めようとした時
この先5年、10年先の未来が見える場所じゃないと
なかなか踏み込めないと思うんです。
当時の私は、たまたまフラッと郡上にやって来て、
気がついたら5年ぐらい経っちゃって、
そこから先の5年、10年後の暮らしを意識し始めた矢先に
母との同居という壁にぶつかって
そこでこの対応!!!
正直、
この先、郡上での未来は無いな。。。
と痛切に感じた時でもあり、
本気で郡上を離れることを考えたりもしたし
その後1年ほど続いた
『郡上倦怠期』の始まりでもありました。
そんな時に、たまたまご縁で見つけた物件が
タテマチノイエ なんです。
母のお試し郡上暮らしを、まちやど貸切でやってみて
ここでなら暮らしていけそう!って
私も母も自信が持てたら、
そして母が郡上に来ることを望んだら
そのときは、タテマチノイエを
高齢の母が住めるように改修して、私もそちらに同居しよう
そう思っていました。
結局、母はいろいろ考えた末、
これからも青森で暮らしていくことを決めたのですが、
その後、巡り巡って今
父に出資してもらい、
として活用することとなったのです。
最近、ご近所の高齢者の皆さんをみてると、
自宅で一人、宅配弁当を食べている人が多数いらっしゃいます。
宅配弁当は栄養バランスもしっかり考えられてて、
けっこう美味しくもあるのですが
私の両親がそういう生活になったとしたら、
せめて、ご飯と味噌汁ぐらいは温かいものを食べてほしい。
でも、高齢の父や母の暮らしぶりをみていると、
火を使うことがだんだん億劫になってきているようですね。
だったら。。。
おかずは各自お持込で、炊きたてのご飯とお味噌汁だけ提供する
地域の共同の台所的な要素も備えたシェアハウス。
1階は野菜やお惣菜が買えて、軽くご飯も食べれるような、
地域の人も滞在者も観光客も寄っていけるような飲食店。
そんな施設があってもいいんじゃない?って思うんです。
2階の住居部分には、
Uターン、2地域居住、半住生活など、
郡上八幡に拠点が欲しいけれど、
一軒家は負担が大きすぎるという人向けのシェアハウス。
郡上に身内がいない単身者は
なかなか地域とのつながりを作るのが難しいから
1階のシェアキッチンで地域の人たちと交流して、
空き家情報なんかを教えてもらって、
少しずつ、少しずつ、地域に根付いていくきっかけになれば。。。
そうして、例えば10年たって見渡してみたら
高齢化、少子化の郡上だけど、
タテマチノイエの周りはなぜか若い人が多い!
みたいな。
そういうのもありなんじゃないかなって思うんですよ。
正直、タテマチノイエを購入して、
さらにこれから改修にかかるお金を
ビジネスとして考えると
全然成りたたない。。。
っていうか、赤字になる可能性もなくはない。
でも、なんていうか
未来の自分と自分を取り巻く環境に投資!
新しい形の介護保険!
と思えば
出資してみる価値はありだと思うんですよね。
不安だから保険をかけるんじゃなくて
楽しいこと、ワクワクすることにお金も時間も使って
自分の周りにそういうプラスの波紋が広がっていったほうが
面白いし、結果的にはみんなハッピー!
ってなればいいなと思う。
その取り組みのひとつがタテマチノイエなのです。
お金にも気持ちにも余裕がないとできないことだけれど、
タテマチノイエに余裕を持って取り組めるのも
出資してくれた父のおかげです。
写真は、ひるがの高原にて
ヤギの激写に夢中の父。
出かけるときはいつも
何年前に買ったのかもわからないフィルムカメラと一緒。
iPhoneでも撮れるからいいよ
って言っても、持っていく!!って言い張ります。
脳梗塞の後遺症で体幹が安定してない父が
撮影する写真はほとんどピンボケだけど
それもまたよし!